3、自分の子育てのお話の前に、自分が子供の頃に決めた事

f:id:hitsuchan:20190215190847j:plain

明日、ちょっとした会があるので、久々にデコレーションカップケーキを作ってみました。子供が小さい頃はピカチュウとかケーキで良く作ってたのに。

さて、今回は結婚7年目にようやく出来た待望の子供達の子育てについて振り返ってみようと思いましたが、それを振り返るにはまず、私の子供時代の思いを振り返ってからにします、子供時代の思いが子育てに多分に影響を及ぼしているとも言えるので。

 

私は愛情深い両親に育てられ、兄とも仲が良く、家庭内には何の不満も無く幸せに大事に育てられました。ただ、一つだけ子供のころの不満は、同じ年のいとこと遊ぶ事でした。同じ歳だし、女の子だし、と言う事で同じお人形を買ってもらったり、家も近かったのでいつでも遊ぶ相手と言えばその子、大人達も安心してみていられたのでしょうね。その子は大人の前では本当にいい子で、子供なのにとてもしっかりしているという態度を常に見せていました。ですから、私の事は妹のように可愛がっていると言う態度を大人達の前では見せるのです。そして、いかにも私は遊んでいても手がかかって、自分が我慢していると言うようなことを言うのです。大人達も私の両親を除いては、皆がその子の態度になんの疑いも持たず、その子がしっかりしているから二人で遊ばせていても本当に安心だ、というように常にその子を褒め称えていました。

まあ、私のおばあちゃん世代は子供らしい子供よりもちょっとませた、大人ぶった子供の方が良い子だと言う風に考えていたのだと思います、時代ですね。おばあちゃんは小学生に上がるか上がらないかの年に、よそのお家に奉公に出されて働かなければいけなかった、そういう時代ですから仕方ないのかもしれません。

話がそれましたが、そう言う子ですから、大人の前ではしっかりして、私と二人の時には全く違う態度なのです。

そして、私はその時に心に決めたのです、大きくなったらこの子とはもう会わない、自分で自分の行動を決める事が出来る様になったらもうこの子とは会わない様にしようと。

そして私は高校を卒業する頃には自分の意志でその子には会わない様になりました。

それが、私が子供の頃に決めた最初の事です。

それから、私は小さいころからバレエを習っていました、あのころは高度成長期で、どのお宅でも子供が出来たら習い事をさせると言うような風潮があったのだと思います。

バレエはとても好きでした、ただ発表会になると舞台用の濃い化粧をされて、つけまつげを付けるからと長いまつげをカットされ、髪の毛もふわっとボリュームを持たせて、どう見ても顔だけ見れば夜のお仕事に行ってきます!!って言う感じにしか見えないのです。その顔がとても嫌だったのですが、それでもいつもは発表会が終わると化粧も落として着替えて帰って来るのですが、ある日時間がなかったのか、服だけ着替えて顔はそのままで帰って来た事があります。顔はおばさんなのに服は子供で小さくて、どう見てもものすごく変だったと思います、それを見た近所の子供達が”うわっ!変な顔”と一言!!子供ですから正直ですよね。それ以来バレエはやめました、バレエは好きだったのですが、あの顔が余りにも恥ずかしくて、そして親にとっても、バレエはシューズや衣装やレオタードや思った以上にお金がかかるので、やめてくれた方がホッとしたと思います。

次に習ったのはオルガンでヤマハの教室に通っていました。そこでオルガンとエレクトーンを習って、2年したらそこを終了してピアノを習うと言うのがその頃のヤマハの教室の課程だったと思います。

ピアノも大好きでした。ただ、両親はもちろんピアノなど習った事も無かったので、先生に習ってから家に帰って練習をする時に、わからない事を誰にも聞く事が出来ないのです。ですから思った様に進んでいきません、発表会では初めてグランドピアノを目の前にして、どこが真ん中の”ド”なのかわからなくて、結局1オクターブ上で弾いてしまいました。それでも、習いに行って私の順番が来るまで待っている時に、お姉さん達が習っている曲を聞いて、“私もいつかあの曲が弾ける様になりたいと”夢に見ていたものでした。

それから間もなく父の会社の関係で引っ越すことになり、ピアノはきっと新しい所へ行って、落ち着いたら始めるのだろうと思っていましたが、いつまでたっても先生を捜している様子は無く、母に聞いてみると、ピアノはもういいんじゃない?と言われ、少し残念でしたが、親の言う事を聞くのが当たり前の年齢でしたのでそれでピアノは終わりました。親になってあの頃の両親の気持ちを考えたとき、さほど上達が早くない娘のピアノにかけるお金はなかったのだろうと思います。家のローンもあり、兄の大学の費用も貯金しておかなくては、と思えばその選択は当然だと思います。

それでも、バレエもピアノも嫌いでやめた訳ではなかったので、中学に入り、回りにピアノが弾ける子、バレエとは違うけど体操が上手い子がいて、”あ〜、私もあのまま習っていたら彼女達くらいに出来ていたかもしれないな”って思うと残念で、今からでもやりたいなと思う様になり、両親に“もう一度始めてはだめ?”と聞いてみましたが、もちろん”ノー”でした。

その時に私は思ったのです、将来自分に子供が出来たら、女の子だったらバレエを、男の子だったらピアノかヴァイオリンを習わせたいと、ヴァイオリンと言うのは私のやってみたい楽器で、でも学校にも無いし、楽器屋さんで見ても高そうだし、触れる事も出来ません。いつか触ってみたい、弾く事は出来なくても弾いている所を目の前で見てみたい、とずっと思っていました。

こうして、中学生の時に私の将来の子供達に託す夢が決まったのです。

親の夢を子供に押し付けてはいけないと言うような事を言われる事もありますが、でも子供は自分で決める事は出来ませんよね、ですからまずは親が与える所から始めなければ。

結論から言うと、家は男の子二人でしたので、ピアノとヴァイオリンを習う事となりました。

そのお話はまたそのうちに書こうと思います、今回は長くなってしまったのでこの辺で、次回はもうひとつ子供の頃に思っていた事でその通りにした事を書こうと思います。子供って大人が思うよりもっと、深く、色々な事を小さい頭なりに考えているものですよね。それでは、また